昭和48年04月01日 勧学祭
勧学祭に併せて月次のお祭り、それから引き続いて、マルショウの総会、これからまた私のために、まあ祝賀パーティーをみなさん開いて下さると言う事でございます。まあ盛り沢山なお祭り、行事の中に今日お繰り合わせを頂かれたことを厚くお礼を申し上げます。お礼を神様にもうさせて頂いておりましたら、御心眼に、私共が椛目時代から、ずうっとおかげを頂いてまいりました一つの過程とでも申しましょうか、お風呂が次々に替わってまいりました。
そのお風呂を、もう次から次と今日まで頂いておるお風呂を頂くんです。私共が引き揚げて帰ってまいりました頃は、もうお風呂桶が使えなくなっておりましたので、隣近所のもらい風呂でございました、もとろん、他所さんがお済みになった頃、声をかけて頂きますから、家族中で風呂を貰って、ございました。もう真っ暗い農家のことでございますから、明かりもあるかないか分からないぐらいな。
まあお湯はどんなに明るい所で見たら、濁っておるかどうか分からない様な小さい桶に、それこそ沢山な人が入るんですからね。その後のいうなら仕舞風呂的な風呂であっても、まあ一日の疲れを癒させて頂くにはもう充分でした、いやもうその風呂が大変ありがたいものでした、まあそう言う様な事でございましたから、そのとき私は感じさせて頂いた、これは本当に両親が隣近所のもらい風呂をしなければならない様な、風呂場はあるし、風呂桶はあるけれども、その様子じゃなんも出来ない様な事で。
私は風呂を入る資格はないんだと、思わせて頂きましてね、お風呂はもう一生入りませんという修行に取り組ませて頂きました。それから椛目で段々人が助かるようになり、もう朝から、ひっきりなしにご参拝がある、私はお広前で朝から晩まで、それこそ門外不出でお取次ぎの御用をさせてもらい、お話をしいつづけておった時代でございました。大変にその中におかげを頂いた方が、風呂桶のお供えをして下さいました。
おかしいなこの頃石鹸がお供えどんどん集まってくる、タオルがどんどん集まってくる、どう言う様な事だろうかと思いよったら、最後に綺麗な桧風呂の風呂が参りました、そこで、あの元柿畑の横の方へ、あの国道に面したところへ、この洗い板を建てまして、それから、そこに風呂をすえて頂いた、もう私が一番そこでお風呂を頂いて、苦になったのはもう流し水を、もうそこに流さなければならないことです。別にトタンあの、セメンがしてある訳でもないしね。
すぐ下水もありましたけれども、ならコンクリートでできた下水と言った様なものでもないのです、それでもね、あの風呂のふちにしがみついて神様に泣きながらお礼を申し上げたことがございます。そういうおかげを頂かせてもろうて、神様がもう風呂には一生入りませんというような信心、もちろん、朝と晩と2回水行いたしますから、お風呂の必要なないです、私はね、もちろん私以外の者は、やはり近所隣の貰い風呂でしておりました、そこへお風呂を頂いたのですから、まあ大変みんなも喜びました。
もうあたら作りの風呂小屋を作って、そこで頂いておった、段々それが次にはひのきがわぶきではあるけれども、風呂場がでけて煙突もでけて、という風呂になりそれから、あのタイル張りの小さい船方の、みなさんもご承知の通りのお風呂になり、こちらへ参りましてからは、もう本当に、お風呂が今いくつあるでしょうか、客殿また今度の新会館、しかもそれは見事はお風呂、あぁ毎日はあちらの大きなお風呂を使わせて頂くのでございますけれども、こうこうひねればお湯が出ると言う様な、水が出ると言う様な。
もう夜も夜中もないように、私は夜中もこの頃シャワーをかかりますから、もう本当に勿体無い。今日私はお風呂へ入らせて頂いて一番に素晴らしいと思ったことは、繁雄さんとご一緒でしたから、もうなんとこのお風呂の水の綺麗な事ね、と言う事でした。もう明るいガラスのひざしに、あのお湯がねあのお風呂のお湯がもう、それこそもう本当に飲んでもよいように住みきったお風呂の中に、まあ体をひたらせて頂いてから、本当におかげを頂いたもんだなとおもせずにはいられません。
勿論お風呂のお知らせを頂いたと言う事は、お互いがあのお風呂に入った時だけは、本当に、あはぁ極楽というふうに思いもしますし言いも致します。ですからその極楽と言うても、やはりピンからきりまでだと言う事を今日教えて下さったんだと思うんです。それには、なら私は一番始めにもう一生お風呂などに、まあいうなら入ろうとは思いません、もう楽はしませんと言う姿勢ができておったと言う事、そこにはです、楽はさせずにはおかん、しかもより素晴らしい、より立派な楽をさせようとする働きが今日まで続いておるのでございます。
今朝からの御理解に、竹や木をつけば折れる、金の杖をつけば曲がる、神を杖につけば楽じゃという御理解に基いての御理解でした。私はご神前で頂いておりました事は、信楽至心と頂いておりました。信心の楽、信楽です、至心と言うのは心が至るとかいてある、ここに心が至った時ですね、そこから生まれてくる信楽です、それが仏教的にいうと極楽なのです、ここにここに心が至った時と言う事はどう言う事だろうね。
いうならば楽はせんぞと言う事だと思う。自分から求めて楽はせんぞと、今朝はそのことについて、まあ本当に初めて、あぁいう風に御理解を頂きましたがね、和らぐ心と心の交流と申しますかね、こういう心の状態がいわば人間氏子の心の中に、一人一人にできた時が初めて人間の幸福だと言う事なのです。私共の心が和らぐその和らいだ者同士の心が一つになる交流する、それこそ世界は一つと言う事はそう言う事なのです、またそれをなら小さく言えば、私の家庭みなさんの家庭と言う事になるのですね。
主人と家内、親と子供の心が和らぎに結ばれた時がそのお家、いわば夫婦が一心同体と言う事でもあろう親子がね、親、親と子との一つの、いわゆる働きと言う事が出来る、そこに私共がです、目覚めた時始められる信心を真の信心と言うのだね。例えば今日は選び取ると言う事について頂きました。お互い皆さんが、もう金光様の御信心を選び取られた訳です、金光様の御信心によらなければ、人間の真実の幸せにはなれないんだと、皆さんが合点されたことから、金光教と言う信心を選び取られた。
選び取られる為には、そんならどう言う事にならなければならないかというと、選び捨てなければいけないと言う事です、反物を買いに参りますね、あれもこれもと欲しい、あれもいるこれもいる、けれどもその中から選び取らせて頂くためには、あぁこれもちったよかけれどもというのは、選び捨てなければそれを選び取る事は出来ませんね、金光様の御信心を頂いておっても、果たしてその選び取るだけの信心のを頂いておる。
いやぁ私は金光様一本といいよるけれどもです。まだまだ選び取ってない人が沢山あるじゃないかと思うんですね。いうならば、私共の日常生活の上においてですね、神様を中心に申し上げる信心ね、そこから頂けてくる所のおかげ。今朝から、私はその事を日田の綾部さんの例をもって話したことでした。まあ内容が内容ですから、それをつまびやかに話すことはでけんで残念ですけれども。
丁度昨日、一昨日でしたか29日、野口さんの謝恩祭の日でした。まだお祭りにはまだ、まあ一時間あるからというので、久富先生と久富繁雄さんに2人2階の小部屋で足をもんでもらっておった、そこへもうそれこそけたたましゅう綾部さんと高芝さんが入ってみえましたもうあるそれこそ、あちらのおかげは大きいかわり、問題も実に大きい、もう人の十倍二十倍じゃないぐらいな、やはり難儀といいや難儀であるね。
けれども本当にあの、あちらの場合を思うとなんも難儀と言うのはおかげへの招待状だと言われるがです、本当にそれを有り難く受けていったらです、確かに素晴らしい、それこそ、目の覚めるようなおかげになっておることにいつも驚きます。その日も実はこうこうだと、内容のことを話されまして、けれども寝ながらですから、とにかく後からご神前へ出てお伺いしましょうと、というてあの下へ下りて頂きましたが、私は寝取るまますぐ頂いた、その大きなその問題がです。
もう本当にもうどうなるだろうかと言ったような、そのことなんです。でそのことのお伺いでございましたが、私が御心眼に頂きますのが、こんなコップにあの都忘れという菊の花がいっぱいこうさしてある、紫の小さい菊の花です、それでここさしてある一本だけが根が浮いている、水に使ってない訳なんです、だからそれだけが、ぐしゃっとなっておるということであった、それで、私は御祈念、お祭りを使えさせて頂いて、お祭りの後の御理解にその事を聞いて頂いたんですけれどもね。
綾部さん信心が一生懸命、イライラもやもや、あっち行ったりこっち行ったりバタバタしよる時にはもう信心が浮いとる時です、だから問題がもう、もうこれは破裂の寸前と言う様な所までいってたと、そこでまぁあちらのことですから、すぐそこに気付かれた、そして右か左かと言う事をお伺いされて、もうそこん所の腹が素晴らしいですね、もうそう言う御理解を頂いて、それは綾部さん右がいいですよといわれた所から、実は左を願っておられた、けれども、右がよいですよと言う所から腹が決まった。
それから神様のその微妙な働きというものはもう耐えなるまでの働きであった、そして、それが5日に解決するという話であったけれども、昨日解決した、その解決の模様を見せて頂いて、聞かせて頂いておると、もうなんと素晴らしい神様の働き、なるほど難儀はおかげの招待状であるが、その招待の座に私共がつけないおる人がどのぐらいあるか分からん、そして自分でいいかげんな所で座っておるような感じでありますね。
神を杖につけば楽じゃ、それこそ金に頼ろうとする、物に頼ろうとする、木や竹に頼ろうとするね、それではです、なら私が皆さんに言う様にですね、いわば信楽と言うおかげにはならん至心でないからです、一心でないから一本でないからです、まだ効いたけん縋っておるんだ金に縋っておるからですね、それでは神を杖につけば楽じゃという信楽のおかげにはなりませんね、ここに私は信心にはやはり度胸がいると思います。
信楽のおかげ、いわゆる神を杖につけば楽じゃという、なら私共の場合はです、始めからです、本当に神様のおかげとおもわらなければおれないね、まあその例を一緒に話したんですけれどもその日、久留米の中村さんが、伊万里におられた時の鳥栖の保線、保線工ですかね、に勤めておられる方が鳥栖のほうへ移転してみえる、そこでおにぎりを手伝い人があるから作ってくれないかと、沢山おにぎりなんです、それで今日そちらでおにぎりをつくって鳥栖に今度移転するお家にいかなきゃならない。
ところが朝の御祈念に参ってお取次ぎを頂かせてもろうたら、隣のおばちゃんがえらいバタバタしよんなさる、なにごとですかち言うた所が、今日はあんたもうあちらの方で伊万里の時にお世話になっとった人が鳥栖の方へみえます、それでおにぎりば作ってくれと頼まれておるんで、今からおにぎりつくりせにゃなりません、そんなら私がお手伝いをしましょう、今日はお店が休みですけん、お寿司屋さんね。
もうおにぎり専門のお寿司屋さん、しかもその日が休みじゃん、それが隣のおばさん、ほんなら私が握ってあげましょうというてそれこそ素人じゃ出来ない程しの立派なおにぎりが沢山でけた、それを自動車に積んで鳥栖に行った、さぁ所がもう行って聞きゃすぐ分かる所が、尋ねても尋ねても分からない、一時間グルグル回ったけれども分からないね、とうとう仕方がないから、まあそこにドン座る様な気持ちで自動車を止めてです、心中祈念をさせて頂いて。もうこの一時間ばかりは泣こうごたったというのであるね。
所がです御祈念が終わって車から出た所が、向こうからトラックがやってくるとが、なんと向こうの方が時間が遅れて、家移りの道具をいっぱい満載してきたトラックであった、まあそれはもう駅の方にも尋ねる近所にも尋ねる、したけれども分からなかったものが、そこへ行く車が丁度きた、はぁおかげ頂いたと言う訳なんですけれどもです。信心させて頂いてお取次ぎを頂いてです、おかげを頂くと言う事は、もうそういう前後に必ず神様の働きと言う事を感じなければおられない程しの働きが必ずあると言う事です。
そこでその、間の一時間にね、泣こうごたったと言う事が大体はあってはならんと言う事です、これ程間違いのない働きを頂いておるのであるから、よしならこのもっていっておるおにぎりがですね、もう今日まにあわんで、まあ晩に食べてもらねばならんようなことになったって、ままよという腹を据えなきゃいけない、神様が無駄にはさせて下さらんという確信と同時にいよいよぎりぎりのものはままよという心である。
そこには不安もなかなければ、心配もないと言う様にです、その一時間の心配な心を押し狭めていくと言う事が信心なんです。綾部さんの場合なんかは、それこそそれこそ、もうどうなるだろうかと言った様な問題をです、もう来る日も来る日も、寝らずにいろいろその事でしっちゃんがっちゃん問題があっておる、けれども御理解を頂いてからこっちというものは、もうどうでもよいという気になっておられる、ほんなこと考えてみりゃ、親先生そうでしたね、そこらへんのスキットした頂き方ね。
私は今本当にやっぱし、体も大きいが、難儀も人の10倍も20倍もあんた難儀を、もうそれが次から次と受けられると言う事は、それが一つ一つおかげになっていくのですから見事なのです、だからその難儀と言う事は難儀じゃないんだと、難儀とは見らずに、それを、本当にこれはもう神様のおかげ、例えば、高芝さんがどんなに言われても、おっちゃまおかげになるですが、もうバタバタしなさいますなと言えれるはずなんですけれども、一緒になってから心配しておるね。
そこをならお取次ぎを頂いて、いわゆる金を頼っておった、木や竹をついておるから金や竹はもうおりゅうごとある、曲がる所に不安があった、そこでそれを捨てきって神を杖につかせて頂こうという時に、もう矢でも鉄砲でも持ってこいという信心の度胸が生まれてくるこれを信楽というんです、至心、心がそこに至った時に私共の信楽、信心によるところの、いうなら極楽、しかもその極楽もぴんからきりまでだと言う事。
私が椛目から合楽へ移らせて頂いて、何回お風呂を替われらせて頂いたことか、しかもそのお風呂というものは段々、段々素晴らしいお風呂に替わって来た、素晴らしい極楽になってきた。そういうおかげをです、頂かせて頂けれる道に縁を頂いておる、それにどうでしょう、まだ金にすがっとる、木や竹にすがっておる、これが例えば一生よし信心が続いたとても本当の信楽という事は生まれてまいりません。
本当の信楽の心に生まれてくる所のおかげ、そこでなら皆さんの場合はです、綾部さんの例を取るならばです、中村さんの例を取るならばです、本当にその間、例えば泣こうごとあったとか、もうイライラモヤモヤ、晩も眠られんと言う様な所をです、お取次ぎを頂いてね、親先生が右と仰るから、そこでままよという心を据えた時には、既に信楽のは入り口なのですね、それにはですやはりね、そういう信心を選び取らせて頂くためには木や竹やというまだね、迷い一般疑い。
まだ神様が疑(うたご)うとらんというても疑(うたご)うとる証拠です。そういうものを、私共が、私共の信心から一掃して、神様一途の信心にならせていただく所から生まれてくるのが信楽、その信楽の心に現れてくるのがですね、もうそれこそ極楽の世界である、そのしかも極楽の世界もです、もういうなら、20年前も私は楽であった、それはお風呂に入らない、一生入らんと思いよってもお水を頂くと言う事だけでも有り難かった、その時分の、例えば問題のすべてがです。
御事柄として受けておったのですから、有り難いことであったんですから、やはり極楽ね、そういう極楽からです、段々本当な極楽に辿らせていただいとる、まだまだこれからどのような極楽を神様が下さるか分からんね、それにはです、私共が信楽至心という、そこに心が至らなければいけない、お願いをして、本当に隣の寿司屋のおばさんが今日休みで、そのおにぎりをつくって下さったところからです、神様の働きをはっきり、なら中村さんは感じとっておられるけれども。
実際にさぁ一時間も二時間もどうどう回り、あそこを回って、探し出せん時には泣こうごとあったと言う所をですね、私共はここの所を、はぁまだ自分の信心は本当なもんじゃないなぁというのですから、そこにね、心配せんで済む、泣かんで済む所の修行をさせもらわなきゃいけない、お互いがいたりきたりして、大概金光様、金光様いいよるばってん、うわずとっとるね、ですからその問題がもういよいよ、悪い方へ悪い方へと、しまいには、もうこれはもうない物にして止めましょうと言う所まで行ったね。
それがですいわば、信心が金光様、金光様って言いよるだけじゃいかんって、本当にそこにどん座ってです、なるほど、信心が浮いておることに気付かせて頂いて、それを見ずに、いわば、しっかり、神様の心と通うだけの信心にならせて頂く所からです、また生き生きと水をあげてきた、そして、そのおかげになる具合というものは、それはね、昨日もその問題で、もうその関係の方がみんな集まられて。
もう実は、今日は( ? )いんえ今日は誰がいいなさったっちゃ、ちょいと合楽の金光様にお礼が第一、ちょっとお礼に出てきますから言う言うて、まあお礼に出てきたというて、昨日は夕べでした、お礼にでてみえました、話を聞くともう本当にそのへんの、いつかあちらの話を直接きいてご覧なさいませ、それはもうその辺のおかげと、そういう素晴らしい手の込んだです、おかげの座というものがちゃんと作って用意してまってござるとですよ。
だからそこを、に座らせてもらえれる所のおかげこそがです、信楽を頂いておる者のみに下さる、ならその信楽が今みなさんに頂けておると思えないけれどもです、そこをお取次ぎを第一主義にして、信心を第一にして、一にも信心、ニにも信心、いや三にも信心と言う生き方でです、私共がそこに信心にならせて頂くところから、いわば信楽が、お取次ぎを頂いて信楽と言う所から、いわば自分のものになってくるという、本当なものになってくると言う事、そういうおかげを頂かなければならない。
今日の例えば勧学祭、これだけ沢山な御信者さんがおられる、月次祭だと言った様に、本当にささやかこういうお祭り、ご神前だけはにぎやかだけども、お参りというたら、ほんな一部の方だけしか参ってこん、そしてから、子供の勉強がよう出来ますようにばっかりいうちから子供もつれてまい、今日のような勧学祭という銘を打ってからお祭りがあるというのにですね、本当にねごうとるとじゃないと言う事が分かるですね。
本当にねごうとるなら、今日のお祭がどんな事があっても、子供の頭がようなるごと勉強ができるようにと言う親の願いがもしあるとするならば、今日のお祭にお参りが出来んというのがあってよかろうはずがないです。勧学祭ですよね、だからです、勿論勧学祭という、頭がよくなるように、良い学校にとおるようにというだけのことじゃ決してありません、それこそ、教祖様は学が身を食うと仰るですから、ちぃっとばかり知恵があったり、ちぃっとばかりの学問をしておる事が返って信心の邪魔になる。
そう言う事じゃいけませんからこういうまだ小さい時からですね、学問と言うならば信心が、とにかく、神様のおかげを頂いて勉強させてもらうんだと言う思い込みの信心をこのぐらいの時にうえつけておかなくしてです、できるはずがない、途中からあんた、見てごらんなさい、ちーったばかり高校、大学なんて忙しくなって来ると、お参りはせんなんことは分かっとるけども、勉強の方が忙しかけんちお参りせんごとなってくる、(笑い)ね。だから本当に勉強ができるならできるほどね。
試験であれば試験であるほどね、いわば子供ながらにも、神様のおかげを頂かなければお取次ぎを頂いてからの勉強でなかなければいけないという思い込みをつくらせておかせて頂くと言う事がです、私は勧学祭の一番の私は願いでなかなければならないと思うです。ただどうぞ、良い学校に入られますように、どうぞ良い勉強が出来ますように、頭がよくなりますようにと言う事ではなくてです、その知徳です知と徳とがね、学問とその徳とが平行して進んでいくほどしのおかげでなかなければいけんと言う事ですね。
勉強ばかり出来すぎて親不孝になったち言う事も沢山あります、頭が良かったから悪い、どんな悪い事でも思いついてから悪党になった人は沢山あります、今の政治家なんかはそんなのとが多いです、頭が良かったばっかりに、知徳が優れ、知徳じゃない、知だけが優れとる、徳の方が遅れとるからそう言う事になる、いわばお邪魔になるような結果になるのです、世のお役に立たせて頂くことの為にですね、のいうならば、勧学祭でなかなければならない。
そして、子供ながらも信心の有り難さという物をね、身に染んで頂き、分からせて頂くようなおかげを頂かせてもらうと言う事をです、私は勧学祭の願いにしなければいけない、まだ勧学祭が始めてね、ようやく去年からですから二年ね、たまたま、私の誕生日が今日になっとりますので、それも含めて、親先生なんとかかんとかちいう、親先生これは私は誕生日の祝いをしてもらおうともなんとも思わんです。
本当に、けれども、主は親先生、親先生ちいうたっちゃ、誕生日の祝賀会があるとに、出席せんぐらいな、で本当に親先生、親先生って言えれるだろうかね、それこそ何をおいてでも今日はと、いうならそういういくつものお祭りやら、今日は行事やらが重ねてあった訳ですね。だからどうぞおかげを頂いて、お互いがいわゆる今朝から頂きます、信楽至心のおかげ、それは心が至った時、初めて信楽のおかげが受けられる、そういうおかげを目指させて頂きたいと思います。
どうぞ。